【荒山城址】(大沢中町〜大沢下町)

荒山城址

荒山城址は、戦国時代の城址だ。

伝説では、前山城の支城で荒山城といい、天正10年 (1582)には市川和泉長義父子が在城していたが、この年の11月、徳川方の依田信蕃に攻略された。その際、自刃した城主市川氏の母「妙高」を祀ったという「妙高稲荷社」がある。(平成5 年発行『佐久市志歴史編(二)』より)お高稲荷ともいわれ、祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)という女神で穀物の神である。お稲荷さんとして広く信仰されている。城山の上り口は石段で上って行くと鳥居もあり、祭りには提灯を下げ、ちょうど桜の咲く頃で、ひと頃は賑わった。城山には、他にも何体かの石像があるが、頭部欠損のものが多い。南側、少し下がった所に女神風の石像が2体ある。その下には摩利支天の石像がある。

摩利支天を念ずる者は、人に害されることなく、だまされず、財をとられることもなく、罰せられることもないという。中世にの守護神として信仰されたというが、猪に乗った精巧な造りだ(写真)。やはりこの地は城跡か。城山には桜の古木がある。ひと頃は花見も行われ、酒屋の皆さんの宴は大勢で賑やかだったという。

荒山城址 荒山城址

 

 

 

 

閉じる