【観音寺】(大沢新田)
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現在の新田公会場と観音寺堂の建っている所に観音寺があった。
観音寺は、龍泉院の末寺で、江戸時代に建てられたが、無住の時代が長かったという。明治になり、新田の子ども達も本村の学校へ通うようになったが、冬の寒さや雪道はつらかった。そのため明治13年(1880)に、大沢新田冬期分校が観音寺に開設され、大正15年(1926)に新田分教場ができるまで、利用された。
昭和56年に観音寺は取り壊され、跡地に観音寺堂と現公会場が平成13年に建てられた。観音寺堂を建てるに当って、役員は京都まで視察に行き今の六角堂に決まったという。