校内には、学校建築の再発掘された土器・石器をはじめ、佐久では数少ない板碑が何枚も保存されたり、使い込まれた生活用品や汗の染み込んだ農具などの
民族資料が三教室いっぱいに集められ展示されている。これらは、過去の生活や農業を知る上で貴重な文化遺産であり歴史の生き証人とも言えます。
一世紀にわたる地域の歴史を刻んだ学校は、歴史民俗資料館としての役割も担っています。
第一資料室
農具をはじめ、昔懐かしい生活用品が多数展示されています。
- 【もみ摺り器】 籾を玄米にする作業が籾摺りだが、昭和時代になって動力の籾摺り機が使われる様になった。それ以前は手動の籾摺り器で「土臼」とか「から臼」などと呼ばれた。
- 【製材道具】 機械製材が始まったのは明治時代の終わり頃だ。それ以前の建築用材は全て手動で行った。大沢小学校(本館)も用材の調達から校舎を建てるまで全て人力で行われた。大きな鋸(のこ)「大鋸(おが)(縦引き鋸)」、丸太を削るのが「手斧(ちょうな)」など。
- 【下駄スケート】当地は、寒冷地のため冬の遊びの一つにスケートがあった。スケート靴が普及したのは戦後も昭和30年代のことで、それ以前は下駄スケートだ。
最初は、高下駄の歯を抜いて鍛冶屋さんに「カスガイ」を打ちつけてもらい滑った。その後「ゲロリー」と称した下駄スケートが長く続いた。戦後、ブレード部分が改良されたが相変わらず足袋の上に下駄スケートを履き、紐で足首を縛って氷の田圃で滑った。
第二資料室
昔の教科書、学校日誌をはじめ、調度品、衣類、箱枕、雛人形、コイン、編笠、そして火縄銃まで先人が使った品々が数多く陳列されている。
- 【高札(五傍の掲示)】 慶応4年(明治元年 1868年)3月に太政官から出された高札、五傍の掲示のうち、「定三札」が保存されている。
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民俗資料 |
高札(五傍の掲示) |
第三資料室
古代の石器、土器類など。大沢地区でも縄文や弥生時代の住居跡や古墳が見つかっている。
- 【板碑】中世に、死者を供養する目的でたてられた石製の塔婆。佐久市内で30枚を超える板碑が確認されているが、特に地家地区にある旧長命寺跡周辺で多く見つかっています。
- 【さびた剣】明治24年、学校敷地の地ならし作業中、地中から墳墓とおぼしき物発掘。人骨以外に金環、管玉、瑠璃玉などの装身具や古刀が出土。
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学校建築の際出土した直刀
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板碑 |